奄美の自然を描いた孤高の日本画家・田中一村を知ろう

奄美の自然を描いた孤高の日本画家・田中一村を知ろう

2024年2月5日更新
2024年9月19日より「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が東京都美術館で開催

 奄美大島で独自の日本画を描き、「日本のゴーギャン」とも呼ばれる孤高の画家・田中一村。奄美大島の自然を愛し、昭和期に活動していた日本画家です。


本記事では、元田中一村記念美術館顧問、田中一村研究の第一人者である大矢鞆音氏が、田中一村のことについてご紹介します。

田中一村(たなか いっそん)※田中一村記念美術館より抜粋

明治41(1908)年、栃木県生まれ。大正15(1926)年に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科入学後、わずか2か月余りで中退。その後は、南画家として活動。第19回青龍展に「白い花」を出品入選するが、その後中央画壇とつながりをもつことはなかった。昭和33(1958)年、50歳で単身奄美大島に移住。紬工場で染色工として働き、蓄えができたら絵を描くという生活を繰り返し、亜熱帯の植物や動物を描き続け、独特の世界を作りあげた。絵描きとして清貧で孤高な生き方を通した一村は、昭和52(1977)年、誰にも看取られることなく69年の生涯を静かに閉じた。

 

田中一村のこと

「若冲と一村」を陳べた展覧会が、今箱根の『岡田美術館』で開かれています。思えば隔世の感ひとしおです。田中一村という名を初めて目にし、耳にしたのは、1,985(昭和60)年12月のNHK日曜美術館でした。
無名の田中一村をその番組の中で、岡田美術館の館長となった小林忠さんが「若冲と一村」が極めて似ているということを語っていました。全く無名の画家を取り上げることが珍しい時代に、奄美大島で、人知れず描き、この世を去った田中一村を取り上げたのです。

作品はクローズアップされ、音楽がかぶり、人々の五感にしみいる様に伝わりました。田中一村は一躍脚光を浴びたのです。私も初めて知った画家でした。私の父とまさに同じ時代を生きた画家です。私は編集者として直ちに『田中一村作品集』をつくり、以来40年近く田中一村の足跡を訪ね、田中一村の紹介に携わってきました。南画から出発した田中一村が、50歳を目前に奄美に渡り、墨の美しさを生かしながら、≪南の琳派≫とも言える、つややかな、華麗な作品を残したのです。

東山魁夷、橋本明治、加藤栄三といった昭和の画壇を代表する画家たちと2か月ほどではあったが、東京美術学校で同級生であったことも付け加えたいと思います。

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◆ライター
大矢鞆音
安野光雅美術館館長・美術評論家
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「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」東京都美術館で開催

孤高の画家・田中一村の大回顧展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が東京都美術館で2024年9月19日(木)から開催。「アダンの海辺」「白い花」「奄美の海に蘇鐵とアダン」など神童と称された幼年期から最晩年に奄美で描かれた作品まで、200 点を超える作品を一堂にご紹介します。

会 期: 2024 年9 月19 日(木)~12 月1 日(日)
会 場: 東京都美術館
公式サイト: https://isson2024.exhn.jp外部リンク
主 催: 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館、NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社

田中一村記念美術館の館長を務める宮崎緑さんに奄美と一村作品の魅力、回顧展の見どころなどを聞きました

 
孤高の画家・田中一村と奄美文化の相互作用

 

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