50歳で奄美大島に移住。69歳で生涯を終えるまで奄美の亜熱帯の動植物や景色を豊かな色彩で描き続けた孤高の日本画家、田中一村。神童と呼ばれた幼年期から最晩年の作品まで紹介する最大規模の大回顧展「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」がこの秋、東京都美術館で開催されます。開館から鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館の館長を務める宮崎緑さんに奄美と一村作品の魅力、回顧展の見どころなどを聞きました。
奄美の第一の魅力は“人情”
田中一村記念美術館
――田中一村記念美術館が開館して約四半世紀になります。館長に就任されてから感じた奄美の魅力を教えてください。
宮崎:美術館は2001年9月30日にオープンしました。4月1日付けで辞令をいただいたのですが、その頃はまだ工事中でヘルメットをかぶって長靴を履いて通う所から始まって。完成するまでの半年間、奄美の各島を歩きまわったんです。その過程で感じた奄美の第一の魅力は人情でした。現代社会で失われてしまったとても大切なものがしっかり残っていると感じたんです。
その厚い人情とエネルギッシュな亜熱帯特有の植生や生態系に囲まれた島の景色。どこに行っても哲学的で精神的、スピリチュアルな雰囲気があって、異空間の文化に浸れるところも奄美の魅力ですね。それは一村さんも感じていたのかもしれません。私は一村さんは奄美に出会わなければ一村さんにならなかったと思っています。逆に一村さんがいなかったら、奄美が奄美にならない部分もあるのかもしれない…相互作用のような感じですね。
大自然や宇宙の摂理…奄美の文化が感じられる代表作《不喰芋と蘇鐵》
「不喰芋(くわずいも)と蘇鐵(そてつ)」昭和48年(1973)以前 絹本着色 個人蔵 ©2024 Hiroshi Niiyama
――一村の代表作のひとつ《不喰芋と蘇鐵》には奄美に住む人(シマンチュ)ならではの視点が感じられるとか。
宮崎:一村さんが66歳の時、書簡に「閻魔大王えの土産品」と書いた大作です。私達のようなシマンチュの目で見ると作品に込めた想いや哲学、物の見方、空気感などが端々に見えてくるんですよ。蘇鐵(ソテツ)の雄花と雌花の間に描かれたハマナタマメは、奄美では子孫繁栄の象徴です。中央の不喰芋(クワズイモ)はつぼみから黄色い花が咲いて、最後に朽ちるまでがひとつの株の中に全部描き込まれている。自然界では、つぼみや花、花と実など隣り合っているのは普通ですが、つぼみから朽ちるまでのワンサイクルが同時に株の中に存在することはほとんどありません。
つまり、一村さんは自然の描写だけではなく、輪廻や生まれ変わり、死生観などをこの作品に込めて描いていらっしゃるのではないかと思います。奥に見える岩は、海の向こうのネリヤカナヤ(海の彼方の楽園)から神がシマ(集落)にやってくる時に降り立ち道標とする「立神」。神というのはいわゆる宗教ということではなく、人知を超えた宇宙の摂理のようなものを指しています。一村さんの作品の中にはそういったダイナミックな宇宙観や奄美の独特な哲学が非常にあふれています。
一村さんの作品に満7歳頃に描いた「ハマグリ」の絵があるんですが、枯れた達筆ですでに悟りの境地に至ったような絵なんです。もしかしたら、彼は小さい頃から哲学的な深みを持っていたのかなと。それが花開いたのは、この奄美の風土に出会ったからではないかと思ったりしています。一村さんは画家の枠にとどまらない思想家だったり、哲学者だったりという気もするんですよね。
田中一村の息づかいが感じられる奄美のスポット
アダン
――一村は奄美のさまざまなところで写生をしていました。その足跡や息づかいが感じられる場所はどのあたりでしょう。
宮崎:やはり本茶峠。いつも散歩や写生をされていた頃のままの景色が残っているところもあります。あるいは終焉の家のある有屋や大熊などでしょうか。美術館周辺の庭には一村さんがモチーフにしたアダンなどの植物を植えています。作品に描かれているような景色になるよう配置して造園しました。今はだいぶ大きくなったので雰囲気は変わってしまったんですが、最初に植栽した時は「一村さんはこの角度から見て写生したのでは」という観点で植えていきました。ガジュマルにトラフズクの写真を置いてみたりね。奄美の手つかずの自然の中で目を閉じると、一村さんの息づかいが感じられるかもしれないですね。
「奄美の海に蘇鐵とアダン」昭和36年(1961) 絹本墨画着色 田中一村記念美術館蔵 ©2024 Hiroshi Niiyama
一村さんは鳥類の観察もよくされていました。ルリカケスはよく見かけますが、アカショウビンは見つけるのは難しい。でも鳴き声はよく聞こえてきますね。子供の頃に一村さんを見かけたという島の人から話を聞いたことがあるんです。学校に行く途中に見かけた一村さんは学校からの帰りにも同じ格好で道端にしゃがんでずっと観察をしていたそうですよ。
ルリカケス
孤高だったかもしれないけれど、シマでの暮らしは孤独ではなかったと思うんです。シマの人々とも鳥や小さい動物、木々ともきっとコミュニケーションを取っていたと思うし、妖怪もいますし(笑)。結構ユーモアのセンスがある方だから楽しく過ごしていたんじゃないかなと。
“田中一村とはなんぞや” まで深く切り込む大回顧展
――この秋、一村ゆかりの地・上野で待望の大回顧展が開催されます。これまでとは違った展覧会になるそうですね。
宮崎:一村さんはもともと南日本新聞での連載やNHK『日曜美術館』で注目されました。中央画壇に背を向け、凛とした生き方が潔く、日本のゴーギャンと称されるような人気先行型で、かつてはグッズ中心などの展覧会が多かったようです。田中一村記念美術館が出来てから、アカデミックな分析、きちんとした絵画の作品としての評価ができる展覧会を開催しましょうと動き始めました。
そうした研究成果の集大成として行なった2010年の「田中一村 新たなる全貌」は千葉市美術館、鹿児島市立美術館、田中一村記念美術館という一村ゆかりの地にある美術館が共同で取り組んだ初めての回顧展でした。この展覧会では、これまでとは違う一村さんのお顔が見えることを主題に作品を集めました。
今回の最大規模となる田中一村回顧展は、14年前の「全貌展」よりさらに作品の調査・分析を進めてきましたので、じっくりと作品そのものをご覧いただきたい内容です。絵画史の中にどう位置付けていくのか、一村さん自身の画業をどう評価するのか、どのような美術史的な価値があるのかなどを形にするものにしたい。作品の全貌を見せた前回と同じようにはしたくないので、これまでの作品はもちろん新たに見つかった作品、一村とはなんぞやというちょっと深いところまで切り込みたいですね。
また鳥の声、波の音、大地の匂いなど奄美の自然を感じながら作品を鑑賞できるような展示を考えています。一村さんが奄美で一村さんになっていった…一村への道が見えるようにしたいと。展覧会をご覧になって終わりではなくて、見た後に島に行かなきゃ、奄美でもう一度で出会わなければという気持ちになっていただけたら。
田中一村作品と奄美の文化をもっと海外へ
――美術館は2026年に開館25周年を迎えます。今後の展望などをお聞かせください。
宮崎:コロナ禍の2021年に奄美大島は世界遺産に登録されました。島の守るべきものと発展させるもののバランスをとって、一村さんの世界を残し続けるにはどうすればいいか。これが今後の私のテーマだと思っています。
美術館が開館した時は160点ほどだった収蔵品も約480点に増えました。一村研究の拠点であり、一村を一村にした奄美の文化・風土の研究拠点としても充実させていきたいと思っています。開館25周年を迎えるにあたって密かな野望があります。反響があった2018年のフランス・パリでの展示に続き、もっと海外に一村さんの作品と奄美の文化を紹介していきたいですね
■画家・田中一村(たなか・いっそん/明治41年[1908]-昭和52年[1977])
田中一村 肖像 ©2024 Hiroshi Niiyama
■展覧会概要
田中一村展 奄美の光 魂の絵画
会期:2024年9月19日(木)~12月1日(日)
会場:東京都美術館 企画展示室
公式サイト:https://isson2024.exhn.jp/
主 催: 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館、NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社
■宮崎 緑(みやざき みどり)プロフィール
田中一村記念美術館館長/奄美パーク園長
千葉商科大学 教授
慶應義塾大学大学院修士課程修了。法学修士。東京工業大学非常勤講師を経て千葉商科大学教授。政策情報学部長を2期つとめた後、2015年に国際教養学部を創設、初代学部長。屋久杉と大島紬の保護に取り組み、奄美パーク園長、田中一村記念美術館館長を兼務、現在に至る。
政府税制調査会委員、衆議院選挙区画定審議会委員など国の政策決定過程に参画。天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議の構成員としてご退位の特例法制定に関わり、元号制定及び皇位継承に関する有識者会議委員等もつとめた。中教審委員及び神奈川県教育委員等教育行政に取り組んだことから平成22年度地方教育行政功労者表彰を受賞。その後、東京都教育委員もつとめた。
現在は国家公安委員会委員。
昭和シェル石油(株)監査役、東急株式会社社外取締役、ソニー教育財団理事等、産官学および地域文化全般にバランスを保つよう努力している。
NHK報道局「ニュースセンター9時」初の女性ニュースキャスターをつとめた。
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■レポート/ライター
高田りぶれ(たかだ・りぶれ)
山形県生まれ。ライターなど。放送作家のキャリアを生かし、テレビ・ラジオ番組のおもしろさを伝える解説文を年間150本以上執筆。趣味は観ること(プロレス、サッカー、相撲、ドラマ、お笑い、演劇)、遠征、料理。
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