忌野清志郎が出没!RCサクセション伝説のゲリラ・ライブの裏側~名物宣伝マン・高橋Rock Me Babyさんインタビュー~

忌野清志郎が出没!RCサクセション伝説のゲリラ・ライブの裏側~名物宣伝マン・高橋Rock Me Babyさんインタビュー~

 「スローバラード」「雨あがりの夜空に」などのヒット曲で知られ、「キング・オブ・ロック」の異名を持つ伝説のロックバンド・RCサクセション。2022年、デビュー50周年プロジェクトの一環として1981年に開催された初の武道館ライブのデラックス・エディションが発売された。

その発売を記念して今年5月に全国4か所のライブハウスで爆音上映会を開催。先端技術で美しく蘇った当時のライブ映像にファンたちは熱狂した。反響を呼んだRCサクセション初の武道館ライブ、今年5月にNHK-BSの音楽番組『伝説のコンサート』で放送された1983年の渋谷公会堂ライブも加えた豪華な2本立てのライブ映像が86日に配信される。

今回RCサクセションの名物宣伝マンとしてバンドメンバーと熱い時間を共に過ごした高橋Rock Me Babyさんにインタビュー。今も語り継がれるRCサクセション伝説のゲリラ・ライブの経緯や宣伝活動での裏話を当時の現場担当者である高橋さんに聞いた。

――RCサクセションは話題性のあるプロモーションで注目を集めていました。その中でもゲリラ・ライブは特に有名ですね。

高橋:ゲリラ・ライブは1990年、RCサクセションが20周年を迎えたときに行いました。RCサクセションも二十歳だからということで、僕はその年の115日・成人式の日に清志郎さんコスプレをして、RCのフライヤーを撒くというゲリラ的な宣伝をやったんです。それも車の上に乗ってカラオケで歌いながら(笑)。その様子を撮影した映像を清志郎さんに見せたら、俺もやりたいと()

東京・有楽町にあるスタジオでラジオ番組の収録をした後に、テレビ番組用のコメントを撮る予定になっていました。それを清志郎さん本人がゲリラ・ライブにしちゃおうと発案しました。仰々しい感じでの撮影はおもしろくないからというので、最小限のロケ人数で、予告もなしに行いました。

――清志郎さんはどんな姿でライブを行ったのでしょうか。

高橋:帽子にサングラスですね。平日の夕方4時頃だったので通行人はほとんど気がつかない。でも、声を聴いているうちにだんだん気がついてきていましたけど。本当は1曲で終わる予定だったのですが、それだけじゃつまらないからと7曲くらい演奏したんです。この有楽町のライブで清志郎さんはゲリラ・ライブが楽しくなってしまって、他の所でもやりたいと。そしてどうせならプロモーションビデオを撮っちゃおうというアイディアに結び付きました。この時の模様はローリング・ストーンズの公式写真家としても有名な有賀幹夫さんの写真集「NAUGHTY BOY KING OF ROCKN ROLL」に入っています。この日、有賀さんに撮影していただきました。ちょうどストーンズの来日の時期でしたが、奇跡的に有賀さんのスケジュールがとれました。

プロモーションビデオの撮影は午後一番に、原宿の竹下通りからスタートしました。春休みで若い子たちがひしめきあっている中、清志郎さんが帽子にサングラス姿で店の中にギターを弾きながら入って行ったりして、何が起こるかわからない撮影になりました()。サングラスに帽子で変装していたのですが、超有名人なので、声ですぐにばれてしまい、一時、撮影を中断するくらい大変なことになりました。その後に代々木公園、表参道、夕方6時くらいに渋谷のハチ公前へ。原宿や代々木公園は携帯型のアンプだったんですが、ハチ公前に持っていったアンプは武道館公演で使ったものと同じマーシャルでした。大きなアンプを使うならマイクも必要ということで、ヴォーカル・マイクもセッティングしたんです。

――ゲリラ・ライブなのに本格的ですね。注意などは受けなかったのでしょうか。

高橋:ちょうど交番の死角になる見えない位置だったので、注意されないままライブをやりました。プロモーションビデオ用に「あふれる熱い涙」を2回やるだけのはずだったんですが、やり出したら止まらなくて123曲。最初は気づかれなかったんですけど、あっという間に人だかりになっちゃって。時間にすると30分くらい。

当時、ゲリラ・ライブを日本で行った有名アーティストはいなかったんです。エルヴィス・コステロが来日したときに、銀座でちょっとやったことがあったくらいでした。告知なしで行ったので、しかも超有名人だからすぐに大きな騒ぎになっちゃったんですが、清志郎さんはめちゃくちゃ楽しかったらしくて()

――清志郎さんはゲリラ・ライブのどんなところが楽しかったんでしょう。

高橋:予定調和がないところがおもしろかったようです。

当時、とても人気のあったバンドやミュージシャンたちがRCサクセションから受けた影響をメディアで語ってくれていたんです。それでロックのキングみたいに呼ばれていました。でも、清志郎さん曰く、いくらキングと呼ばれても、予定調和のところでやっていたらおしまいだよなと。自分のことを知らない人たちの前でやって、それでひきつけることができないとだめだというようなことを言ってました。

――コラボレーションのオファーもたくさんあったんじゃないですか?

高橋:売れている方や有名な方からたくさんコラボレーション、共演を申し込まれました。でも有名無名に限らず、おもしろいものしかやらなかったんです。僕は宣伝担当だったので、有名人とはいっぱいやって欲しかったのですが()

――清志郎さんは知名度ではなく、おもしろいかおもしろくないかにこだわっていた。

高橋:自分でおもしろいと思うもの以外はやらないんです。清志郎さんがよく行っていた高級温泉旅館でよく顔を合わせていたMr. Childrenの桜井和寿さんと、その旅館の大宴会場でミニコンサートをやったこともありました。僕はその場にはいなかったのですが、後にその時の動画をFCのイベントで公開されたのですが、タンクトップ姿の桜井さんがアコギで浴衣を着た清志郎さんがウクレレを弾いて。その日偶然泊っていた人以外、見ることが出来ない。コンサートがあったことも知られていない。(笑)そういうおもしろいと思ったものはやるんですよ。桜井さんとのユニットで1回だけイベントで演奏したことがあったんです。温泉以外で初めてやります(笑)みたいな。それはものすごく清志郎さんらしい感じがしましたね。

――改めて、忌野清志郎さんとはどういう人物でしょうか。

高橋:異端でしたね。考えていることが普通の人と違うというか、異端という言葉が一番ふさわしいと思います。あとは思いついたときの爆発力と行動力がすごかった。それとユーモアがあって人を傷つけることはしないんですよ。RCサクセションもロックンロールでもないし、もちろんブルースやソウルでもない。かといってポップスでもないし、ニューウェーブでもない。どれにもハマらない異端なバンドでした。

清志郎さんは天才とも言われていますけど、ロックなんか誰でもできるし、はじめてギター弾いた人がいい曲を作れる可能性だってあるとインタビューで言ってました。清志郎さんの歌には“大丈夫、きっとうまくできるさ”というメッセージが入っています。なかなかうまく自分の思ったように生きられない。そんな普通の人たちにとってのヒーローでもあったと思います。

1999年~2000年のライブのMCなどでよく言っていたのが、“夢を本気で見れば、夢をあきらめなければ、必ず叶う。夢を現実にするんだ”という言葉。清志郎さんのメッセージには、RCの頃からいつもこの想いが入っていました。そして、いくつになっても夢は見ることができると。一つ叶えたらまた次の夢を追いかける。スピッツの草野マサムネさんの雑誌のコメントで言ってましたが、清志郎さんはこれからの時代に本当に必要なアーティストだと思います。

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高田りぶれ(たかだ・りぶれ)

山形県生まれ。ライターなど。放送作家のキャリアを生かし、テレビ・ラジオ番組のおもしろさを伝える解説文を年間150本以上執筆。趣味は観ること(プロレス、サッカー、相撲、ドラマ、お笑い、演劇)、遠征、料理。
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◆プロフィール

高橋ROCK ME BABY

1988年に東芝EMIに入社。RCサクセション、忌野清志郎の宣伝担当になる。
派手なメイクにコスチュームで、ドカドカうるさいR&R宣伝マンとして活動。その後、フリーランスとなり、忌野清志郎関係では原稿執筆やメディア出演、各種ロックイベントのMC等を通して、ロックの伝導活動を展開。ファンの間では知られた存在となる。

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