【小泉今日子の歌の楽しみ方】80年代のアイコン、キョンキョンの印象に残るセクシーな歌声(80年代アイドル Vol.3)

【小泉今日子の歌の楽しみ方】80年代のアイコン、キョンキョンの印象に残るセクシーな歌声(80年代アイドル Vol.3)

 音楽評論家・スージー鈴木による短期連載「80年代女性アイドルの聴き方」。全5回シリーズで、伝説の女性アイドルたちについて、主に音楽的視点から、その魅力に迫ります。 

>>第1回「松田聖子 編」はこちら
>>第2回「中森明菜 編」はこちら

小泉今日子、特に1980年代の彼女に関する記憶をたどると、私は2つの言葉を想起するのです。

1つは「アイコン」。急いで補足すれば、80年代当時に「アイコン」という言葉はまだ流通していなかったのですが、後に一般化するこの言葉ほど、当時の小泉今日子にピッタリとくるものはありません。さらに「キョンキョン(Kyon2)」というニックネームにすれば、ピッタリ感はさらに高まります。

平たくいえば「時代の顔」。顔といえば、小ぶりかつ目がくりっとした小泉今日子の顔立ちは当時「きれい」とか「かわいい」というよりも「イマドキ」という感じがしたものです。80年代の、世界に名だたるトーキョーの空気をギュッと濃縮した存在。歌手や俳優、ラジオDJ……などというより、小泉今日子はまさにアイコンでした。

 

そして2つ目は、彼女の才能を表す言葉としての「セルフプロデュース」(この言葉も後に流通したものですが)。向かうべき方向を、誰かの言いなりではなく、あくまで自分が判断し、自分で指し示し、その方向に向けて、自分でずんずん進んでいく。

驚くべきは、彼女のセルフプロデュース力が、令和の今でもまったく古びていないことです。それどころか最近は「舞台の製作などプロデューサー業に力を入れ、良い作品を世に送り出したい」という発言すらしています(スポニチアネックス/2018621日)

その結果として、ここで取り上げた「ザ・音楽家」としての松田聖子、中森明菜に比べ、音楽活動だけを抜き出して、単体で云々するのが難しい、云々してもしょうがないという感じがするのです。

なぜなら音楽は、小泉今日子の広大な活動の中のワン・オブ・ゼムなのですから。また、例えばアイドル界をパロディ化した『なんてったってアイドル』(85年)などが典型的なのですが、彼女の音楽は、その作品性を時代批評性が上回る場合が多いのです。

 

そんな中、比較的に作品性が際立っていると思う例として、まずは『半分少女』を挙げたいと思います(83年)。高見沢俊彦、小室哲哉、大瀧詠一、近田春夫と、多様(バラバラ?)な才能が集結する80年代シングル群の中、この曲は「作詞:橋本淳・作曲:筒美京平」という60年代からのトラッドなソングライターチームによるもので、その分、時代性が強過ぎず、スタンダードな香りがします。

今あらためて聴いてみて印象に残るのは、小泉今日子が発明したともいえる、過剰に喉を震わせるようなセクシーな歌い方です。この歌い方は、その後の80年代女性アイドルたちに広く影響を与えたものでした。

もう1曲といわれれば、『夜明けのMEW』(86年)。こちらも作曲は筒美京平なのですが、作詞は当時新進気鋭の秋元康。まさに「時代と寝ていた」小泉今日子と秋元に刺激されたのか、レジェンド作曲家も奮い立ち、その結果、時代を震わせる名曲が生まれました。

弱冠28歳・秋元康の独創性が炸裂するパンチラインは「♪ 君を(が)すべて知っていると思っていた」。1番の「を」を2番で「が」に変える助詞の使い分けで意味をグッと広げるという荒技。拙著『80年代音楽解体新書』(彩流社)に私はこう書きました。

――「を」では、女(=「君」)に対する男の慢心・わがまま、要するに「ツン」の世界を表し、それを「が」に替えると、意味もがらっと変わり、女に対する男の依頼心・執着、要するに「デレ」の世界になります。(中略)「を」と「が」だけで、失恋につながる男の浅はかさのすべてを言い尽くしていると思いませんか?

ですが、小泉今日子といえばやはり、まずは時代を批評しながら象徴する「セルフプロデュース・アイコン」なのです。音楽含めた活動の総体を味わうのがいちばんだと思っています。

 

最後に、彼女の広大な活動の1つ、文筆家としての彼女の才能に触れておきたいと思います。実は私、個人的には、彼女の才能の本質は、文章力にあると思っているのです。特に、16年に発表され、講談社エッセイ賞に輝いた『黄色いマンション 黒い猫』(スイッチ・パブリッシング)は見事に読ませます。

――人の死は、思っていたよりずっと静かで穏やかなものだった。さっきまで痛みに苦しんで壮絶な表情をしていたのに、息を引き取る時には優しく穏やかで、生まれたばかりの赤ん坊のように無垢な顔で旅立っていく。受け止める私たちの心もとっても静かで神聖な気分だった。

自分の父親の死について、ここまで端整な文章で書き切った「アイドル」がいたでしょうか。

というわけで、すいません、「80年代女性アイドルの聴き方」というタイトルにもあるように、音楽視点でアイドルを語る連載にもかかわらず、今回は音楽以外の話が多くなりました。でも、しょうがない。なぜなら――それが小泉今日子なのですから。


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◆ライター

 

スージー鈴木

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。bayfm『9の音粋』月曜日担当DJ。著書に『桑田佳祐論』『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)など多数。 

         

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