【中森明菜の歌の楽しみ方】声の魅力や歌唱力について(80年代アイドル Vol.2)

【中森明菜の歌の楽しみ方】声の魅力や歌唱力について(80年代アイドル Vol.2)

 音楽評論家・スージー鈴木による短期連載「80年代女性アイドルの聴き方」。全5回シリーズで、伝説の女性アイドルたちについて、主に音楽的視点から、その魅力に迫ります。 

>>第1回「松田聖子 編」はこちら

2回はやはりこの人でしょう。そうです、中森明菜です。中森明菜といえば、最近「再評価ブーム」という感じで、やたらと話題が盛り上がっています。彼女の過去映像を特集した番組がいくつか放送され、そして2022年の830日には、何と本人がツイッターを更新――。

「ゆっくりになってしまうと思いますが、歩き出していきたいと思いますので、どうか見守っていただけると嬉しいです」というメッセージは、ファンやマスコミに復活を期待させるに十分なものでしたが、残念ながら、この記事を書いている時点で、その気配はまるでないのですが(その後、1224日にもツイッターが更新されたが、具体的音楽活動の再開には触れられていない)。

それにしても、なぜ今、中森明菜なのか。その理由を、主に音楽的観点より考察してみたいと思います。

 

まずは歌手としての実力、つまり歌唱力でしょう。

ここで「歌手」という言葉を使いました。私は、この形容こそ、中森明菜にとても似つかわしいと思うのです。「シンガー」でも「ボーカリスト」でもなく、「歌手」。

彼女の歌唱力を分解するとして、まず素晴らしいのは「声の力」です。具体的には中域音程における声量と声の伸び。代表は『DESIRE -情熱-』(86年)の「♪Get up, Get up, Get up, Burning loveーー】」ですが、他にも『北ウイング』(84年)の「愛はミステリィ 不思議な力【でーー】」や、『十戒(1984)』(同年)の『坊や イライラする【わーー】』など、どこまでも伸びていく爆発的な声。

私が「歌手」という言葉に託すのは、そんな声のプリミティブな力です。野球界でしばしば「地肩が強い」という表現が使われますが、中森明菜の場合は、まさに「地声が強い」という印象を持つのです。

 

続いて、「表現の力」も見逃せません。1曲挙げるとすれば、『水に挿した花』(90年)はどうでしょうか。歌の世界観が彼女自身に憑依している感じすらする。

先の『DESIRE -情熱-』で2度目のレコード大賞を受賞して以降、80年代後半の歌謡界は、中森明菜の独壇場となります。『サザン・ウィンド』(84年)から 『TATTOO』(88年)まで、シングル15作連続でオリコン1位を獲得。

その中で中森明菜は「声の力」に加えて「表現の力」(演技力、ひいては「憑依力」と言い換えてもいい)を身に付けていく。当時の歌番組の映像を見ていると、彼女のパートだけ、独立した確固たる世界観が展開されている感じすらします。

その集大成としての名曲が『水に挿した花』だと私は位置付けるのです。「再評価ブーム」といいながらも、それでも正直、80年代前半の曲ばかりに偏って語られる傾向は否めないのですが、「表現の力」は、80年代後半からの作品により顕著でした。

そして、この「表現の力」の満ち足り方も、彼女を「シンガー」でも「ボーカリスト」でもなく「歌手」と呼ぶ理由で、その延長線に例えば、ちあきなおみ『紅とんぼ』(88年)の聴き手を没入させるパフォーマンスを置きたくなる。

以上、中森明菜の歌唱力を「声」の視点と「表現」の視点で見ました。思うのは、この両方ともが、最近の音楽シーンで少しばかり軽視されてはいないか、逆にいうと、だからこそ、令和の今、中森明菜が求められるのではないかということです。

音楽は、今やサブスクや動画サイトで接するものとなりました。テレビの歌番組は激減して、生歌・生音に接する機会など、いよいよ少なくなった今、ブラウン管の中を、その歌唱力で一気に場をさらっていった中森明菜が、とても懐かしく、かつ愛おしく思い出される――。

 

さて、最後になりますが、声や表現という歌唱力に加えて、「楽曲の力」についても触れておきたいと思います。特に80年代後半、中森明菜が歌謡界を席巻していた頃の作品群――

SOLITUDE』(85年)、『Fin』(86年)、『BLONDE』(87年)、『I MISSED "THE SHOCK"』(88年)、『LIAR』(89年)――これらの横文字タイトルの作品群に感じるのは「都市に住み、都市に生きる女性の疲労感」です。

80年代後半、少しずつバブル景気に盛り上がっていく東京。それでも、陰鬱な気分と陰鬱な恋愛に包まれた疲労感と共に生きる都市型女性のための歌――それは、同時代はもちろん、後にも先にも、他のどんな歌手にも与えられることのなかった唯一無二の楽曲群だと、私は考えるのです。

そして、その疲労感が、「失われた30年」を超えた今、閉塞しきった令和の世と合致した――これこそ、中森明菜を迎え入れる機運の決定打だったのではないか。

だから、歌手・中森明菜は終わったのではなく、むしろ、今始まったとも言えるのです。

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◆ライター

 

スージー鈴木

音楽評論家、小説家、ラジオDJ。1966年11月26日、大阪府東大阪市生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。音楽評論家として、昭和歌謡から最新ヒット曲までを「プロ・リスナー」的に評論。bayfm『9の音粋』月曜日担当DJ。著書に『桑田佳祐論』『サザンオールスターズ1978-1985』(新潮新書)、『EPICソニーとその時代』(集英社新書)、『平成Jポップと令和歌謡』『80年代音楽解体新書』『1979年の歌謡曲』(いずれも彩流社)、『恋するラジオ』『チェッカーズの音楽とその時代』(いずれもブックマン社)など多数。 

         

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