松本潤主演で大注目の大河ドラマ「どうする家康」。理想と現実の間で「どうする」と悩みつづけるナイーブな徳川家康は、実際、どのような人物だったのか――。ドラマの背景にある実像に迫る。
徳川家康(とくがわ・いえやす)*松平蔵人佐元康 / 松本潤 2023年NHK大河ドラマ「どうする家康」の主人公。群雄割拠の戦国時代に、武田信玄(阿部寛)や織田信長(岡田准一)、豊臣秀吉(ムロツヨシ)といった猛将たちと必死に渡り合ううち、やがてその才能を開花させていく。 |
「鳴かぬなら鳴くまで待とう」
家康は、本当に悩んでばかりの武将だった?
徳川家康の生涯を描く大河ドラマ「どうする家康」。「鳴かぬなら鳴くまで待とう」というホトトギスの川柳でも知られるように「待ち」のイメージが強い人物ですが、それは家康の生涯のなかで形作られていったものかもしれません。
日本一の大名へ
家康は1542年に、三河の松平広忠の嫡男として生まれました。当時の松平氏は、両隣を今川氏と織田氏という大きな勢力に挟まれ、幼い家康も人質生活を余儀なくされます。ところが家康に圧力をかけていた今川義元が1560年に討死すると、家康は織田信長と連携し同盟を結びます。家康が武田信玄・勝頼親子との戦いに翻弄される一方、信長は天下人の階段を駆け上っていくことで、徐々に関係は変化し、家康は信長に従うようになっていきます。
1582年に信長が本能寺で倒れ、その後継者として台頭した豊臣秀吉とは、一時は敵対しましたが臣従する道を選びます。1590年に北条氏が滅んだあと、関東に移った家康は江戸城を自身の拠点とし、新たな領国経営を進めることになりました。徳川領国は250万石を超え、秀吉配下の武将のなかでは群を抜く規模を誇り、まさに日本一の大名となったのです。
初代将軍
1598年に秀吉が死ぬと、家康は政権運営を担うようになります。しかしそのなかで、石田三成らとの関係が悪化し、国内の諸大名が二つに分かれる事態になりました。これが1600年に起きた関ケ原の戦いです。しかし戦いは短期間で終わり、敗者となった三成らは処刑され、勝者となった家康は1603年に征夷大将軍に任ぜられました。
まもなく家康は息子の秀忠に将軍職を譲り、江戸城の徳川氏が以後も政権を継承するシステムを完成させます。これが江戸幕府の開設です。大御所として隠居した家康でしたが、諸外国との外交をはじめとする実権は掌握したまま、駿府城に拠点を移したのです。
「どうする」の連続
最後に残されたのは秀吉の遺児である豊臣秀頼の処遇です。家康は臣従するように迫りますが、逆に反発を招き、1615年に包囲された大坂城のなかで秀頼は母の淀君とともに自害します。その翌年、病を得た家康もまた、75歳の生涯を閉じたのでした。
家康の生涯には、武田信玄や信長、秀吉といった大きな壁が常に立ちはだかり、いつも「どうする」と悩み続けていたはずです。しかしそれが、冷静に状況を観察し、臨機応変に策を進める彼の手法を磨き上げたのは間違いありません。晩年の家康は、大航海時代のなかで対立を深めるヨーロッパ諸国に対してもバランスを保ちながら通交をしていたように、現実対応型で「鳴くまで待とう」の外交姿勢を貫いていきます。
大河ドラマ「どうする家康」では、家康は優柔不断なキャラクターとして描かれます。信長や秀吉の行動を間近で観察し、時には彼らによって苦しめられながら、どんな「どうする」を積み重ねていったのか。松本潤さんの演じる家康が変化し成長していく様子を、一年間という長い時間をかけて見守ることができるのも楽しみの一つです。
=============
黒嶋敏(くろしま・さとる)
東京都生まれ。青山学院大学大学院文学研究科史学専攻中退。
博士(歴史学)。現在、東京大学史料編纂所准教授。中世日本の地域や海の世界から見た政治史を研究している。著書に、『中世の権力と列島』『海の武士団 水軍と海賊のあいだ』『天下統一 秀吉から家康へ』『秀吉の武威、信長の武威 天下人はいかに服属を迫るのか』などがある。
=============
◆関連商品
徳川家康の生涯を新たな視点で描く2023年放送の大河ドラマ『どうする家康』。松本潤主演の注目の大河ドラマを、とことん楽しむためのガイドブック第1弾。
『NHK大河ドラマ歴史ハンドブック どうする家康 徳川家康と家臣団たちの時代』