RCサクセションは"中学生の女の子にもわかるポップでチャーミングでオルタナィブなバンド”~名物宣伝マン・高橋Rock Me Babyさんインタビュー~

RCサクセションは"中学生の女の子にもわかるポップでチャーミングでオルタナィブなバンド”~名物宣伝マン・高橋Rock Me Babyさんインタビュー~

  「スローバラード」「雨あがりの夜空に」などのヒット曲で知られ、「キング・オブ・ロック」の異名を持つ伝説のロックバンド・RCサクセション。2022年、デビュー50周年プロジェクトの一環として1981年に開催された初の武道館ライブのデラックス・エディションが発売された。

その発売を記念して今年5月に全国4か所のライブハウスで爆音上映会を開催。先端技術で美しく蘇った当時のライブ映像にファンたちは熱狂した。反響を呼んだRCサクセション初の武道館ライブ、今年5月にNHK-BSの音楽番組『伝説のコンサート』で放送された1983年の渋谷公会堂ライブも加えた豪華な2本立てのライブ映像が86日に配信される。

今回RCサクセションの名物宣伝マンとして忌野清志郎と熱い時間を共に過ごした高橋Rock Me Babyさんにインタビュー。高橋さんがNHKの音楽番組とRCサクセションとの親和性の高さを物語るエピソードを明かした。

――高橋さんとRCサクセションとの出会いについて教えてください。

高橋:1988年に東芝EMI(当時RCが所属していたレコード会社)に入社して、RCサクセションの宣伝担当になったときが最初の出会いですね。その時は「タカハシ!」ってカタカナな発音で呼ばれてました()リズムがロックっぽくていいと()。「高橋Rock Me Baby」という名前は、ソロアルバム「GOD」(2005年)の時期にご本人がつけてくれました。RCサクセションの音楽との出会いは僕が高校生だった1979年頃なんです。

その頃は洋楽しか知らなったので、イギリスやアメリカのロックを聴いてました。でもそれだけでは満足できなくなって、日本語で歌う日本のオリジナルのポップ音楽を聴きたくなりました。当時のメディアでは僕が求めている音楽は扱われていなかったので、自分で探しに行きました。ある日、東京・渋谷にあるライブハウス「屋根裏」でRCサクセションを観ました。清志郎さんのヴォーカルは言葉がはっきり聴こえて、飛びぬけて声が印象的でメロディアスでした。それで観に行くようになりました。当時清志郎さんはカラフルな衣装を身に着けてメイクをしてハンドマイクで歌っていたんです。その頃はお客さんが少なくて、しかし毎回全力でライブをやっていて、その姿に感動しました。

僕はその頃、RCサクセションを新人バンドだと思って見ていたんです。彼らが1970年に3人編成のフォークスタイルでデビューしていたなんて知らなかった。そのフォークスタイルからバンドスタイルに変えたことがRCサクセションの転機となって、人気に火が付いていきます。そのスタイルを変えるきっかけとなったのがNHKの音楽番組『ヤング・ミュージック・ショー』。海外のロック・ミュージシャンのライブ演奏を紹介する番組でした。

――どんなアーティストのライブでしょうか?

高橋:ローリング・ストーンズです。清志郎さんの中ではこのストーンズを見て、バンドの方向性が決まったのだと思います。以前、チャボさんのインタビューにありましたが、清志郎さんがチャボさんに“俺がミックをやるからチャボがキースをやってよ“と電話したそうです。これは決定的で歴史的な一言ですね!

RCサクセションのショーの作り方は77年に『ヤング・ミュージック・ショー』で放送されたローリング・ストーンズのパリのライブがベースになってます。日本武道館や渋谷公会堂など多くのライブでローリング・ストーンズのオマージュ的な演出がされましたが、単なるモノマネじゃない。

RCサクセションの音楽の入れ物はあくまでも70年代中盤~80年代前半のローリング・ストーンズ。その入れ物に清志郎さんが好きなソウルミュージック、チャボさんの好きなロックンロールやブルース、当時カッティングエッジだった音楽のフュージョン、ニューウェーブetc.を入れて全く新しいものにしていきました。偉大なる先人たちへのリスペクトと音楽のバトン、いろいろな音楽やカルチャー、ユーモアとパロディー精神、そして社会的なメッセージが入っているので、まぎれもなくRCサクセションだけのオリジナルになりました。

――NHKのラジオがRCサクセションの人気を高める後押しをしたそうですね。

高橋: RCサクセションはライブハウスでの人気がだんだん出てきました。でも取り上げてくれるメディアがなかった。マニアックな音楽雑誌や情報誌などでは取り上げられていたんですけど、なかなかマイナーなところから出られなかったんです。そこから脱出できるきっかけはNHK-FMの音楽番組『サウンドストリート』でした。

『サウンドストリート』では個性派のディスクジョッキーたちが日替わりで登場して、特に編集者の森永博志さんが担当していた火曜日は、他の番組では取り上げられることのない世界中のストリート・カルチャーを若いリスナーたちへ紹介していました。ロックバンドになったRCサクセションがはじめてメジャーなメディアに取り上げられたのも、森永博志さんの『サウンドストリート』でした。

まだライブハウスで人気が出だしたくらいの無名のRCサクセションを全国ネットで出演させたり、オンエアしたりした。しかも一回ではなく、何回も!これは凄いことだと思います。
当時のプロデューサーの湊剛さんとDJの森永博志さんの功績です。もしこの二人がいなかったら、日本のロックがオーバーグランドで革命を起こせるようになるのはもっと後になっていたと思います。

――『サウンドストリート』は当時のミュージックシーンに大きな影響を与えていた番組だった。

高橋:音楽評論家・編集者の渋谷陽一さんもディスクジョッキーを担当されていました。渋谷さんの担当は金曜日で、RCサクセションがブレイクしたと言われる1980年の久保講堂公演の前に清志郎さんとチャボさんがゲストで呼ばれたことも大きかったです。RCサクセションが『サウンドストリート』で最初にゲスト出演したのは、森永さんがDJをしていた特番のライブ番組でした。これは貴重なライブで、まだキーボードのG2がプラスワンで加わる前で、当時、フュージョンのギタリストとして注目されていた小川銀次さんがメンバーとして参加していました。「雨あがりの夜空に」もまだアレンジが発展途上の段階で、インタビューも若き日の清志郎さんのシャイだけど品のあるユーモアが最高です。『サウンドストリート』に出演した時の一部の音源は、昨年リリースした「RHAPSODY NAKED Deluxe Edition」のDisc3に収められていますので、ぜひ聴いてください。日本のオリジナル・ロックがはじまったばかりの頃の記録と、これからの時代への大きなインスピレーションが刻まれています。

――多数出演を重ねたおかげで、より多くの人々に知れ渡った。

高橋:そうですね。東京のローカル雑誌で盛り上がっていたバンドのひとつに過ぎなかったRCサクセションが当時のディスクジョッキーたちを通して全国に広まっていった。『サウンドストリート』でRCサクセションを初めて知ったというミュージシャンや音楽業界関係者も少なくないと思います。

NHKのテレビ番組『ヤング・ミュージック・ショー』にインスパイアされてバンドのスタイルを作り、ラジオ番組『サウンドストリート』で新しい音楽を探していた全国の若いリスナーたちへ急速に広がった。アイディアの元になったNHK『ヤング・ミュージック・ショー』のプロデューサー波田野紘一郎さん、そういえば屋根裏を経営していたのは波田野紘一郎さんのご親族だったと聞いたことがあります。発見してブレイクへ導いた『サウンドストリート』のプロデューサーでその後、清志郎さんの数々の伝説的なメディア出演を担った湊剛さん、一番最初に全国ネットで何度も取り上げた『サウンドストリート』火曜日のDJ 森永博志さん。RCサクセションはNHKとの親和性が高いバンドだなと思います。

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高田りぶれ(たかだ・りぶれ)

山形県生まれ。ライターなど。放送作家のキャリアを生かし、テレビ・ラジオ番組のおもしろさを伝える解説文を年間150本以上執筆。趣味は観ること(プロレス、サッカー、相撲、ドラマ、お笑い、演劇)、遠征、料理。
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◆プロフィール

高橋ROCK ME BABY

1988年に東芝EMIに入社。RCサクセション、忌野清志郎の宣伝担当になる。
派手なメイクにコスチュームで、ドカドカうるさいR&R宣伝マンとして活動。その後、フリーランスとなり、忌野清志郎関係では原稿執筆やメディア出演、各種ロックイベントのMC等を通して、ロックの伝導活動を展開。ファンの間では知られた存在となる。

 

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