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DVD/ブルーレイ/CD

証言記録 東日本大震災 DVD-BOX4 全6枚

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震災を様々な角度から記録する一環として、被災者の“あの日、あの時”を証言でつづる。

2011年3月11日。あの日、何があったのか。人々は何を考え、どう行動したのか。
「証言記録 東日本大震災」は、未曾有の大震災に向き合った被災者たちの格闘の記録であり、鎮魂の記録です。家族を失い、生まれ育った地域を失い、その生き様を支えてきた文化さえも失ってしまった人たち。私たちは、この大震災にどう向き合えばよいのか、そこから何を見出していくべきか、「証言記録」は、それを考えるヒントを与えてくれるはずです。

【収録内容】
■第19回 岩手県大船渡市 ~静かな湾に押し寄せた大津波~
岩手県南部の大船渡湾は内陸部に深く入り込んだ波静かな天然の良港だった。沿岸には魚市場やセメント工場があり、漁船や運搬船など様々な船が行きかっていた。2011年3月11日の地震直後、漁師たちは船を守るために沖へと出ようとした。しかし、大津波は、湾の入り口に両岸から突き出した防波堤の間で勢いを増し、2隻の漁船を飲み込んでしまう。一方、湾の奥深くに停泊していた運搬船も津波に襲われた。ロシアから来た魚の運搬船は操縦が出来なくなり、岩山に乗り上げて座礁してしまう。命からがら助けを求めたのは日本の大型セメント運搬船だった。
あの日、大船渡湾で荒れ狂う波に翻弄されながらも、船を守るために必死に闘った漁師と船乗りたちの証言を記録する。

■第20回 宮城県多賀城市 ~産業道路の悪夢~
東北最大の物流拠点、仙台港の北に隣接する宮城県多賀城市。港に集積された物資を東北各県に運ぶ、国道45号線と県道23号線、通称「産業道路」を中心に発展した街だ。2011年3月11日、地震からおよそ1時間後「産業道路」は避難する車で渋滞していた。そこに津波が押し寄せた。津波はあっという間に1.8mに達し、車を押し流し、車から逃げ出した人々を飲み込んだ。津波からかろうじて生き残った人々は、何時までたっても引かない水の中で、車の屋根に乗って救助を待ち続けた。一度氷のような水に濡れた人々をさらに夜の闇と氷点下3度の厳しい寒さが襲う。救助を待つ間に、体温と体力を奪われたお年寄りが低体温症におかされていく。
震災の日の夜、産業道路沿いにあった中古車販売店の敷地に取残された18人が、迫りくる死とどのように闘ったのか。津波によって変貌した都市の恐怖を証言でつづる。

■第21回 福島県富岡町 ~“災害弱者”突然の避難~
福島第一原発からおよそ10kmに位置する富岡町は、震災翌日、突然の避難指示で全町民が避難を余儀なくされた。町の人々が着のみ着のままで避難する中、障害者施設、高齢者施設等で暮らす人たちは、度重なる移動や劣悪な環境下での生活を余儀なくされ、その避難は困難を極めた。本人の体調悪化はもとより、彼らに付き添った施設の人々の苦労も計り知れないものがあった。また、避難指示の際に逃げ遅れ、町に一人で取り残された高齢の障害者もいた。突然の避難に翻弄された“災害弱者”たちの証言記録。

■第22回 岩手県宮古市田老 ~巨大堤防を越えた津波~
2005年に宮古市と合併した旧田老町は、明治29年と昭和8年の大津波で壊滅的な被害を受けた歴史を持つ。「二度と津波で死者を出さない」と誓った人々は、巨大堤防を築き、避難路や警報設備を整備し、避難訓練を繰り返すなど、万全の備えを固めていた。しかし、東日本大震災で犠牲者は181人、人口の4%にのぼった。中でも、漁港近くの野原地区では人口の1割が犠牲となった。
ここはかつて津波の危険地帯とされ、住む人はほとんどいなかった。最初に建設された巨大堤防の外側にあり、堤防にぶつかった津波のエネルギー を誘導する場所だったためだ。しかし、昭和30年代後半になると、行政は防災と発展の両立を目指し、海側に新たな堤防を建設。並行して野原地区の宅地化を推進した。二重になった巨大堤防は、津波防災のモデルケースとして高く評価され、津波に備えて高台に住んでいた人たちも新しい堤防を信じて平地に戻ってきた。だが実際は、海側堤防は主に高潮を防ぐための「防潮堤」であり、大津波の圧力に耐えられるようには設計されていなかった。昭和8年の教訓から生まれた大津波対策は、なぜ生かされなかったのか。堤防の能力や役割と住民の認識とのギャップはなぜ生まれ、どのように広がったのか。住民たちの証言から見つめていく。

■第23回 宮城県仙台市荒浜 ~住民の絆を引き裂いた大津波~
400年ともいわれる歴史を持つ仙台市東部の荒浜地区。太平洋に面し、穏やかな気候に恵まれたこの地区では、古くから受け継いできた伝統行事や学校の運動会を通して、住民同士の深いつながりを培ってきた。
あの日、地震が平日の午後に起きたため、働き手の多くは町の外に出ていて不在、町に残っていたのは、ほとんどがお年寄りだった。残された人々は、高齢者の救出活動に奔走。町外で働いていた人も、荒浜に駆けつけた。地域の絆を頼りに津波到達ぎりぎりまで、住民を救おうと奮闘した人々の証言記録。

■第24回 福島県相馬市 ~津波と放射能に巻き込まれて~
9メートル近い津波に襲われた福島県相馬市。県立自然公園の松川浦に沿った漁師町、原釜・尾浜地区、磯部地区を中心に458人の死者を出した。
松川浦漁港にあった漁業協同組合の職員は、津波の直撃を受けた。津波から船を守るために「沖出し」をした漁師は、10メートル近い波を何度も乗り越えて、船を守るが、その間に陸に残してきた妻を亡くした。船よりも住民の避難誘導を優先した漁師の消防団員は、波に飲まれて命を落とした。そして、原発事故により漁師たちは現在も操業自粛を余儀なくされている。津波と放射能に翻弄された、海に生きる人々の苦難を証言で追う。

○2013年 放送

*DVD6枚組
*収録時間本編258分/16:9/ステレオ・リニアPCM/カラー

発売日:2014年5月23日