東京・上野の東京都美術館において「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」が開幕しました。
個展などを開いたこともなく、無名のまま奄美大島において69歳で人生を終えた画家・田中一村(たなか・いっそん/1908-1977)の全貌を紹介する大回顧展です。神童と呼ばれた幼年期から晩年までに描かれた代表作からスケッチや工芸品、近年発見された作品、未完の大作まで300点をロビー階から2階まで大規模展示しています。この記事ではプレス内覧会で本展監修者や学芸員から語られた作品解説をもとに本展の見どころをご案内します。
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目次
- 田中一村と“因縁”のある東京都美術館での開催
- 本展監修者・学芸員が解説した「田中一村展」で見るべき代表作と逸話エピソード
- 工芸、写真、スケッチ、映像…絵画以外の展示物も見逃せない
- 大ボリュームの図録など来場記念に入手したいオリジナルグッズも多数
- 「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」概要
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田中一村と“因縁”のある東京都美術館での開催
田中一村は大正15(1926)年4月に東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に東山魁夷等と同級で入学した後、わずか2か月余りで中退しました。その同年6月に東京府美術館(現・東京都美術館)が開館。芸術の道を究めようとしたものの、志半ばで上野を去った一村、かたや芸術家の憧れの発表の場として上野に誕生した東京都美術館。「最後は東京で個展を開いて、絵の決着をつけたい」と語っていた一村の思いが結実。運命のいたずらですれ違った両者がようやく上野で交わる感慨深い大回顧展でもあります。
本展は一村が6~7歳の頃に描いた絵画から69歳の最晩年に描かれた作品まで時系列で展示。作品には描いた当時の一村の年齢やエピソードも記されています。東京で生まれ、8歳の時に彫刻師の父から与えられた作家名「米邨(べいそん)」からいかにして奄美大島に渡り、孤高の画家「一村」となっていったのか。その経緯をたどれる展示になっています。
本展監修者・学芸員が解説した「田中一村展」で見るべき代表作と逸話エピソード
《椿図屏風》昭和6年(1931)絹本金地着色 2曲1双 千葉市美術館蔵
第1章「若き南画家『田中米邨』東京時代」エリアで《椿図屏風》の解説をしたのは千葉市美術館 松尾知子さん(本展監修者)。「一村が23歳の頃に描いた作品で涙ぐましいほどの力作。椿と白梅がところせましと折り重なるように描いている。どうやって描き分けているか見てほしい」と話しました。
14年前の2010年に千葉市美術館で開催した「田中一村 新たなる全貌」展以前は、一村は展覧会など公の場での経緯をたどれないため、本人の手紙や晩年を知っている関係者の証言をもとに一村の生涯が語られてきました。
全貌展で作品の調査研究を進めて以降、作品から生涯の有り様がよく分かるようになってきました。奄美に渡る前に画家としてどんな苦悩があったのか、どのような土台を経て一村ができたのかという過程、さらに前回の展覧会以降に奄美に渡る前の若かった頃の作品がここ10年ほどで次々と発見され、今回はそれらすべてが展示されています。
《白い花》昭和22年(1947)9月 紙本砂子地着色 2曲1隻 田中一村記念美術館蔵
第2章「千葉時代『一村』誕生」エリアで代表作の《白い花》と《秋晴》について解説したのは東京都美術館の中原淳行さん。《白い花》は一村と名を改号して臨んだ日本画の公募展・青龍展において最初で最後の入選作。「絵が明るく見えるのは照明のせいではなく、絵の組み合わせのたまもの。明るい光をたたえ、光が回った絵は特異な感受性やテクニックがないと描けない」と話し、この光が後の奄美大島にもつながるのではとも話しました。
《秋晴》昭和23年(1948)9月 紙本金地着色 2曲1隻 田中一村記念美術館蔵
また《白い花》の隣に展示してある千葉の情景を描いた《秋晴》についての逸話も披露。実は《白い花》が入選した翌年に2点を出品し、1品だけ入選を果たしたそう。しかし、自信作だった《秋晴》が落選し、別の作品《波》(現在行方不明)が入選したことで辞退。芸術に対して妥協を許さない一村の性格が垣間見えるエピソードだと話しました。一村に喜びと落胆をもたらした代表作《白い花》と《秋晴》を並べた構図も見どころです。
「アダンの海辺」 昭和44 年(1969)個人蔵 ©2024 Hiroshi Niiyama
「不喰芋(くわずいも)と蘇鐵(そてつ)」昭和48年(1973)以前 個人蔵 ©2024 Hiroshi Niiyama
第3章「己の道 奄美へ」エリアの《アダンの海辺》《不喰芋と蘇鐵》について解説したのは田中一村記念美術館の上原直哉さん。奄美大島在住の上原さんは「一村の作品で描かれているアダンやクワズイモ、ソテツなどは地元の人にとってどこにでも生えている身近なもの。しかし、一村はそんな地元の人が振り返らない植物を熱心に描いていた」と話しました。
一村が「閻魔大王えの土産品」と手紙に書いた2つの代表作《アダンの海辺》と《不喰芋と蘇鐵》(ともに個人蔵)。2作が並べて飾られるのは久々だそう。一村晩年の大作が隣り合う展示を見られる大変貴重なチャンスといえるでしょう。
工芸、写真、スケッチ、映像…絵画以外の展示物も見逃せない
・木彫りの工芸品
第1章 若き南画家「田中米邨」東京時代 展示風景 2024年 東京都美術館
一村の父である田中彌吉は稲邨と号し、仏像や細工物を手掛ける彫刻師でした。父の手ほどきで書画だけでなく、生活のために木彫りの木製品を手掛けていました。茶托や帯留、木魚などには細かい植物や生き物の彫刻が施され、自然を愛する一村らしさが反映されています。
・写真
第3章 己の道 奄美へ 展示風景 2024年 東京都美術館
20代頃から写真に興味を持っていた一村が撮影した写真も展示。姉や甥などの人物写真、風景や生き物の写真などを撮影し、肖像画や風景画を描いていました。その写真撮影の技術も高く、奄美に行ってからも撮り続けています。
・スケッチブック
第3章 己の道 奄美へ 展示風景 2024年 東京都美術館
圧倒的な描写力を感じられるスケッチブックの展示も見どころ。すばしっこい鳥の羽根や細かい魚のウロコを一枚一枚書き上げている膨大な量のスケッチ。そこからは一村の集中力、探究心、好奇心が伝わります。後に大作へと昇華されるスケッチも多数。
・映像「一村が見た奄美」
一村の目線で自然豊かな奄美大島を映した美しい映像も見逃せません。一村が実際に歩いて観察していた道や作品に登場するアダンやアサギマダラなどの実物も。モチーフとなった植物や生き物を見ると、その観察力の鋭さ、描写力の高さに改めて圧倒されるでしょう。
大ボリュームの図録など来場記念に入手したいオリジナルグッズも多数
今回の大回顧展の展示資料や監修者の学芸員によるコラムなど田中一村にまつわる情報が網羅された図録がおすすめです。かわいいアカショウビンがデザインされたトートバッグなど来場の記念になるオリジナルグッズも充実しています。
「田中一村展 奄美の光 魂の絵画」概要
- 会 期: 2024 年9 月19 日(木)~12 月1 日(日)
- 会 場: 東京都美術館
- 休室日:月曜日、9月24日(火)、10月15日(火)、11月5日(火)
※ただし、9月23日(月・休)、10月14日(月・祝)、11月4日(月・休)は開室 - 開室時間:9:30~17:30、金曜日は9:30~20:00
- ※入室は閉室の30分前まで
- 主 催: 公益財団法人東京都歴史文化財団 東京都美術館、鹿児島県奄美パーク 田中一村記念美術館、NHK、NHKプロモーション、日本経済新聞社
- 協賛:DNP大日本印刷、日本典礼
- 特別協力:千葉市美術館
- 協力:ANA、Peach
- 監修:松尾知子(千葉市美術館 副館長)
- お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
- 公式サイト: https://isson2024.exhn.jp
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インタビュー/ライター
高田りぶれ(たかだ・りぶれ)
山形県生まれ。ライターなど。放送作家のキャリアを生かし、テレビ・ラジオ番組のおもしろさを伝える解説文を年間150本以上執筆。趣味は観ること(プロレス、サッカー、相撲、ドラマ、お笑い、演劇)、遠征、料理。
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